日本を代表する政治一家であり、芸能界とも縁深い石原家。
その4兄弟――石原伸晃さん、石原良純さん、石原宏高さん、石原延啓さんが、バラエティ番組『プラチナファミリー』で初めてスタジオに大集合します。
番組では、父で作家・政治家として活躍した石原慎太郎さん、そして昭和の大スター石原裕次郎氏について、今だからこそ語れる秘話がたっぷり披露される予定です。
さらに、地元・逗子での凱旋ロケや旧石原邸の秘蔵映像、慎太郎氏と良純さんの貴重な対談など、ファン必見の内容も満載。
この記事では、石原4兄弟それぞれのプロフィールや、父・慎太郎氏と叔父・裕次郎氏の豪快エピソードをまとめています。
石原4兄弟のプロフィールと経歴まとめ
まずは、石原4兄弟(長男・伸晃、次男・良純、三男・宏高、四男・延啓)の基本情報、学歴・経歴を整理します。
長男の伸晃さんは市立の小学校に通われたようですが、それ以外は小学校から慶應の幼稚舎という絵に描いたようなプラチナファミリー。
また、母親・典子さんも注目すべき人物です。
4兄弟を育てながら、32歳頃に慶應義塾大学に入学し法学部を修め、家庭を支える存在だったと言われています。
石原伸晃 いしはらのぶてる(長男)
生年月日:1957年4月19日
学歴:鎌倉市立御成小学校、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学 文学部 人文社会学科 社会学専攻 卒業
主な職歴/活動分野:政治家。
日本テレビ記者を経て、衆議院議員、環境大臣、国土交通大臣など要職を歴任。
石原良純 いしはらよしずみ(次男)
生年月日:1962年1月15日
学歴:聖マリア幼稚園、慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部(サッカー部所属)、慶應義塾高等学校(合気道部所属)、慶應義塾大学 経済学部 経済学科 卒業
主な職歴/活動分野:俳優・タレント。
テレビや映画に出演。気象予報士資格取得。著作もあり。
石原宏高 いしはらひろたか(三男)
生年月日:1964年6月19日
学歴:慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学 経済学部 卒業
主な職歴/活動分野:政治家。
父・慎太郎の秘書経験を経て、2005年衆議院議員初当選。外務大臣政務官、環境副大臣などを歴任。
石原延啓 いしはらのぶひろ(四男)
生年月日:1966年8月22日
学歴:慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学 経済学部 卒業。さらにニューヨークの School of Visual Arts のファインアート科を学ぶ。
主な職歴/活動分野:美術家。画家・アーティスト。
個展などを開く。自由で芸術的なライフを歩んでいる。
石原慎太郎(父)の経歴と人物像
父である石原慎太郎の経歴も、4兄弟の背景を理解するうえで欠かせません。
- 生年月日:1932年9月30日
- 出身:兵庫県神戸市須磨区。父・潔、母・光子。
- 学歴:湘南中学校を経て湘南高校卒業。その後一橋大学法学部に入学。大学では社会心理学などを学ぶ。
- 作家としてのデビュー:1955年、「太陽の季節」で『文学界』新人賞受賞。1956年「太陽の季節」で芥川賞受賞。
- 政治家としてのキャリア:1968年に参議院議員、以降環境庁長官、運輸大臣、東京都知事などを歴任。作家・文化人としても活動。
慎太郎はその生涯で、作家としての鮮烈さと政治家としての激しさを兼ね備えた人物でした。
家族との関係でも、非常に存在感が強く、また兄弟・叔父・母などとのエピソードを多く残しています。
息子達から語られる慎太郎さんは、普通の家庭では有り得ないほど「自分ファースト」
子供は騒がしいという理由で食事を一人で取るため、奥様は子供と慎太郎さんと二回に分けて食事を準備したり、その日の気分で朝食を「ご飯・パン・そば」の中から選んだとか。
それができるのは奥様の典子さんの努力のたまもの。頭が下がります。
叔父・石原裕次郎の伝説的エピソード
叔父にあたる石原裕次郎も、昭和期を代表するスターとして数々の伝説があります。
- 石原裕次郎は1950〜60年代に俳優・歌手として輝きを放ち、多くのヒット映画・音楽を残した人物です。
- 学歴では、慶應義塾大学法学部政治学科に進んだが、俳優の道に入るため中退。
- 健康上の苦難も多くありました:舌癌、肝臓癌、解離性大動脈瘤など。若くして病で亡くなったことは、多くの人々に衝撃を与えました。
- 映画『黒部の太陽』(1968年公開)は代表作の一つ。大規模なダム工事の困難さや人間ドラマを描いた作品であり、石原プロモーションも関与しています。
裕次郎と慎太郎の関係においても、「弟としての裕次郎を誇りに思っていた」「弟のスター性を慎太郎が支援していた」などの証言があります。
裕次郎が映画や歌手として活躍する場に、慎太郎が影で関わる場面も多いです。
石原4兄弟それぞれのキャラクターと活動の“違い”
4兄弟は皆慶應義塾大学を卒業するなど学歴は非常に整っていますが、その後の方向性はそれぞれ異なります。
- 伸晃:政治家道。記者として報道局で経験を積んだ後、政治家として数々の大臣職を歴任。落ち着いた政策派のイメージが強いです。
- 良純:芸能・情報・自然・気象など、幅広い分野で活躍。役者としての顔に加えて、気象予報士としての専門性もあり、トークやバラエティでも愛されるキャラクター。堅苦しくない“石原家”の顔。
- 宏高:政治を担う一人。父・慎太郎の影響を受けつつ、議員として現場を重視するスタイル。兄・伸晃と比べて若手としての課題もありつつ、次世代の石原政治家として期待を寄せられています。
- 延啓:芸術家。政治やメディアではなく、アートの道を選び、自分のクリエイティビティを追求。国内外の個展などで作品を発表。自由で独自の視点を持った存在。
このように、同じ家庭で育ちながら、それぞれに違った“道”を歩んでおり、その差が兄弟それぞれの魅力を際立たせています。
豪快エピソード集:慎太郎・裕次郎と家族の知られざる物語
過去に伝えられてきたエピソードの中から、印象的なものをいくつか紹介します。
慎太郎の破天荒な一面
作家としての若い頃のエピソード(「太陽の季節」発表後、芥川賞受賞などの成功)だけでなく、政治家としても言動が独特で激しい一面があり、テレビや新聞で話題になることが多かった慎太郎。兄弟との距離感、家庭内での厳しさと優しさ、どちらもあった人物と思われます。
慎太郎と裕次郎、弟としての絆と思い出
慎太郎は裕次郎のスター性や俳優としての才能を認め、支え続けていたと言われます。裕次郎が病気になったとき、慎太郎が深く心を痛めていたこと、弟の死を「早すぎた」と語ったことなどが記録されています。
大胆な映画制作支援エピソード:『黒部の太陽』の制作協力
「黒部の太陽」は日本の高度成長期を象徴する映画で、撮影スケールも大きく、関西電力などとの協力や巨額の制作体制が動いた作品。裕次郎の出演だけでなく、慎太郎や石原プロモーションがその制作に関与・支援した背景には、戦後日本を何らかの形で表現したいという思いがあったとも言われます。
裕次郎の健康と闘病の苦悩
裕次郎は幼少期から体が弱く、また俳優として華々しい活躍を見せる一方で、舌癌、肝臓癌、その他の病気にも悩まされました。慎太郎も弟として、その苦しみを間近で見ていたわけで、兄としての葛藤と尊敬、愛情が交錯した関係があったようです。
母・典子さんの存在感と努力
母親・典子さんは家庭を支えるだけではなく、慎太郎の政治家としての活動を見て、自らも慶應大学への進学(法学部)を果たしたというエピソードがあります。「選挙区のあいさつ回り」などで息子たちとともに歩いたこと、夫・慎太郎を陰で支えたその姿が、兄弟にとって大きな存在だったという言葉が番組でも語られることは想像に難くありません。
慎太郎の破天荒な一面
作家としての若い頃のエピソード(「太陽の季節」発表後、芥川賞受賞などの成功)だけでなく、政治家としても言動が独特で激しい一面があり、テレビや新聞で話題になることが多かった慎太郎。兄弟との距離感、家庭内での厳しさと優しさ、どちらもあった人物と思われます。
まとめ
石原家は単なる政治・芸能一家というだけではありません。
慎太郎という強烈な個性を持った父のもとで育った4兄弟、それぞれが自分の道を選び、また家族としての誇りや愛情を抱き続けてきた歴史があります。
裕次郎の早すぎる死や慎太郎の晩年までの葛藤、母の支えなど、テレビで初めて語られること、初めて映像で明らかになることも多いでしょう。
「プラチナファミリー」は、こうした家族の物語を、ただ追憶するだけでなく、「今だから見えるもの」「語れるもの」を丁寧に掘り下げる番組になると思われます。
視聴者として期待が膨らみます。
最後までお読みくださりありがとうございました。
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